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卒業旅行
私が能登を訪れたのが、高校の卒業旅行なので、今から23年前になります。
友達4人と3月半ばで、京都からJRの特急に乗り、残雪の金沢に着きました。
金沢からは、各駅停車で宿泊予定の輪島を目指しました。
電車は、数時間かかりながら、ゆっくりとした時間で、途中、羽咋駅での待ち時間に、プ
ラットホームに降りたりして楽しみました。
翌日に、輪島塗を見学したり、だんじりのようなものがあった会館(キリコ会館※事務局注)を行ったりしました。
一番の思い出は、輪島の朝市です。
曇り空の中、新鮮な野菜、お土産物やがあちらこちらに並んでいて、私は、わくわくしながら、あっちのお店、こっちのお店とおみやげ物を探していました。そんな時、傍にいた友達1人と、お餅?、お饅頭?で、鶯色の食べ物(「えがらまんじゅう」か?※事務局注)を発見しました。二人で、「食べようか?」「うん。」と即答で買いました。
その時、お店の方が、寒いから中で食べていくように、声を掛けて下さり、お茶を頂きながら、お餅?お饅頭?を食べ、話したのを覚えています。それ以来輪島を訪れる事はないのですが、そのときの景色、味は忘れられない記憶です。

                                        奈良県 梶木様

【事務局評】
だんじりのようなものがあった会館は、きっと「キリコ会館」です。
能登半島では、夏を迎えるとあちらこちらで「キリコ祭り」が開催され、賑わいをみせます。
是非この夏は能登へお越しになり、キリコ祭りを楽しんでみてはいかがですか?にぱっ


| 能登物語〔人生〕 | 04:56 PM | comments (0) | trackback (0) |
能登半島のガイドさん
私にとって能登半島といえば、中学の修学旅行で訪れた思い出の地。
東京から金沢までの往復は電車と新幹線を乗り継ぎ、現地ではクラスごとにバスを貸しきって名所名所を巡りました。
輪島の朝市でのおばあさんたちとのやりとりや、旅館で御陣乗太鼓を見ながら食べた海の幸たっぷりの夕食など、20年がたった今でも忘れることができません。
そんな思い出の中でも一番忘れられないのは、バスガイドさんとの思い出です。男子学生がバスガイドさんに憧れて……という話はよくありますが、女子学生の私が「なぜ?」といえば――。2学期の初め、ホームルームで夏休みの作文を発表する機会がありました。その中に、秋の修学旅行の下見旅行として母親と一緒に能登を訪れた、Oの作文がありました。要約すると、こんな内容でした。
「Oとその母親が参加した現地発着のバスツアーで同乗したバスガイドさんは、新人。一人立ちして初めてのツアーで要領が悪かったため、お客様の不満が爆発。ガイドさんは泣き出す始末。その姿に同情したO親子は、バスを降りる時に『もし次回ガイドしてもらうことがあれば、その時にはもっとうまくなっていてね』と声をかけた。」作文にはガイドさんのドジっぷりが面白おかしく書かれていて、クラス中が笑いに包まれました。その時は、クラス中が予想していませんでした。まさか、そのガイドさんが、私たちの修学旅行を案内することになるとは……。バスに乗って早々、ガイドさんがあのバスガイドさんと同一人物だと気づいたOは、初めの観光地でバスを降りる際にガイドさんに声をかけました。数ヶ月前の出来事でガイドさんも鮮明に覚えていたらしく、大変驚いていました。今にして思えば、年齢もあまりかわらない女子校の修学旅行のガイドで、ただでさえやりづらいところに、失敗話をクラス中に知られているとなれば、内心冷や汗をかかれたことだろうと思います。こちらも、大人であれば「大丈夫なの?」と不安を覚えたりもするのでしょうが、そこは13、14歳の子供のこと、Oだけではなく自分たちもガイドさんに再会した気持ちになり、和気あいあいとした雰囲気の中で旅することができたのです。そして、修学旅行中のガイドさんは、もはやOの作文で語られていた駆け出しの新人ではなく、立派なプロでした。
能登半島での最終日、金沢に向かうバスの中で、ガイドさんと私たちは「贈る言葉」を合唱して別れを惜しみました。私たちを見送ってくれたガイドさんの目に光っていた涙。ガイドさんの顔は年月と共にぼやけてはっきりと思い出せませんが、たった数日間一緒に行動しただけの子供たちとの別れを惜しんでくれたその優しさを思うと、今でも温かい気持ちになります。
あのバスガイドさんは、今でもバスに乗っているのでしょうか。もう引退しているでしょうか。それを確かめがてら、今度能登を訪れてみたいと思います。

                                  東京都  ペンネーム 松田 美和子様 

【事務局評】
旅行先でのバスガイドさんとの出会い、触れ合い、懐かしい思い出ですねにこっ
思い出のバスガイドさん、今は何をしているでしょうね・・。


| 能登物語〔人生〕 | 11:27 AM | comments (0) | trackback (0) |
永遠~のとのくに~
いつの頃からだろう、能登を好きになったのは。幼いころは家が自営だったため慰安旅行として年に1度、家族と従業員とで和倉温泉に行き、お料理とお部屋から望める海に感動しつつ思い出に残る時を過ごしました。その後は学校行事で能登少年自然の家やスポーツ大会で度々能登を訪れていました。特にこれといって能登に何があるわけでもなく、なのに能登の景色と空気が心の中にずっと存在していました。
家から海は近くにあって、親と日本海を眺めに行くこともありましたが、気付けば能登の海と比べている自分がいて何か違うということを幼いながらに思っていました。
時は過ぎ、大学生となり太平洋側の千葉県に住みました。そこで出会った南房総の海や自然がふと能登を思い出させ故郷が恋しくなりました。帰郷した際には友人たちと能登一泊旅行をして輪島の朝市から珠洲の狼煙灯台、見附島、巌門、九十九湾等あらゆる所を巡りました。それからは毎年イベントがあると能登に集合していました。友人たちと一緒に過ごすから楽しい場所、というわけではなく幼い頃から心の中に存在していた“能登”が私の気持ちも明るくし、友人たちとの楽しい時間を過ごせられるのだと思うようになり、それからは一人でもドライブに出かけるようになりました。能登へのドライブは「海岸線を走るべし!」私の中の決め事です。一見変わりのない道と広がる緑、狭い道とカーブが続く海岸線はその場所ごとでいろんな顔があります。そしてそこで暮らす人々の生活も四季を通じて感じられるのです。夕方になれば昼間豪快だった景色も優しい色に包みこまれ‘のと時間’の終わりを告げてくれます。私は知らず知らずに能登の雄大で包容力ある自然と色と空気と風に心を奪われ、訪れた時の“感動”という特別で豊かな気持ちを求めていたことに気付きました。結婚をし家族をもった今は、絵本を見せるのと同じように子どもたちに私の大好きな「のとのくに」を体験させている最中です。

                                        石川県  ペンネーム TOKO様

【事務局評】
能登へのドライブは「海岸線を走るべし!」というのは、私も同感です。
これからの季節は窓を全開にして海岸線を走ると最高ですねにかっ


| 能登物語〔家族〕 | 01:55 PM | comments (0) | trackback (0) |
「見附島」父と釣り
いく十年も昔の事、3、4年続けて夏休みに家族で泊まった国民宿舎のとじ荘での思い出。早朝、砂浜に降り立ち、目の前の見附島を仰ぎながら、釣り糸を垂れました。面白い程に魚が釣れ、砂浜はみるみるひっくり返った魚の腹で真っ白になりました。父は吐き棄てる様に「どいつもこいつもふぐばかりで、ろくな魚がおらん」と怒鳴っていました。私は初めてふぐを見ました。生態を観た感がして、釣り上げた瞬間、ぷうっと膨れるのが面白くて、それからも一刻ふぐを釣っていました。父は「この場所が悪いのだ!もっと島の近くへ行ってくる」と私には「お前は危ないから来てはいかん!」と言い残して一人で突き出た石堤を見附島へと渡って行きました。でも結局は坊主(一匹も釣れない※事務局注)だったと後で知りました。
夜は真っ暗な海の沖合の漁火が幻想的でした。絵葉書そっくりの青い海、空、白い砂浜、緑の松林。そして時折木々を渡る涼風が泳ぎ疲れた熱い身体に心地良く、思わず寝入ってしまいました。砂浜から直接風呂場に入り、砂を落として部屋に上がりました。ある年の事、それでも部屋中ざらざらしていて、神経質な私には不快でたまらず、その事を訴えると父は「もう来年からは来るなっ!!」と言って、ぷいっとあっちを向いてしまいました。
新聞記者から役人に変身し、多忙な中を家族の為に2、3泊の旅行に連れ出してくれた事を思うと、ありがとうの一言を言えば良かったと今更悔やまれます。
でもこのお陰で私は釣りが好きになりました。しょっ中父にねだって、粟崎や金石の海岸でサヨリやキスを釣り、河北潟の木谷屋敷跡の桜並木の下でゴリを釣りました。時折、石鯛やカレイが釣れ、夜はその日の収穫で一段とお膳が賑わい、これも楽しみの一つでした。
伴侶が釣り嫌いだったので、結婚後ぷっつり釣りを止めました。
獲物がかかり、ぐいっと糸を引く瞬間の手応えがたまりません。出来る事ならもう一度釣りがしたいです。カンカン照りの防波堤、東京湾のハゼ釣りでもいい。でも今ではもう味わえないなつかしい欲望なのでしょうか。

                                                東京都 中村様

【事務局評】
思い出深い旅行記ありがとうございます。
能登の海では釣りを楽しむ人が多く見られます。今も魚は良く釣れますよ~オッケー昔を懐かしみ是非能登へ釣りを楽しみに来て下さいにかっ



| 能登物語〔家族〕 | 04:52 PM | comments (0) | trackback (0) |
遠い思い出
古くても暖かい出会いがあると、忘れられない記憶が残るものです。今から彼此40年前、まだ22歳の時です。旧盆の休みを利用して、友人と2人で能登へドライブに出かけました。
何も計画が無く、車中で寝れば良いと思っていましたので、1泊目は車中で過ごしました。しかし、能登半島を巡る途中で疲れ果て、宿を探しましたが、どこも満室で受け入れてもらえませんでした。数件目の宿と交渉している様をみていた仲居さんらしき女性に「宜しかったら、私の家が近くにあるのでどうぞ」と、優しく声を掛けられました。友人と顔を見合わせ、その親切さに甘えることにしました。
案内された民家は街中の小さな消防署の近くにありました。其の家の姑らしき人は、我々に寝具を用意し枕元には蚊取り線香を準備してくれました。ふかふかの布団で、我々はたちまち深い眠りに入りました。
翌朝、味噌汁の仄かな香りで目覚めると、朝食が整えられていました。帰り際、些少の謝礼を包み渡そうとしましたが「宿ではないから。それよりも、気を付けて帰りなさいよ」と、受け取って戴けませんでした。
親切に甘えたままですが、62歳になった今でも思い出し、目頭が熱くなります。近いうちに、女房殿と二人で能登半島を巡りたいと考えています。
若い時に世話になった家がある町の名前さえ分かりませんし、様子も変化していると思いますが、仕事が一段落したら3日ほど掛けて能登半島の漫ろ歩きを楽しみたいと思っています。

                                        静岡県 小山様

【事務局評】
本当に暖かい出会いですね。
今度は奥様とご一緒に、「優しい時間」に出会いに能登半島へいらして下さいにかっ


| 能登物語〔人生〕 | 02:30 PM | comments (0) | trackback (0) |